ジュダルが目を覚ましたのは、太陽がちょうど空の頂点に着いた頃だった。
寝過ぎたためだろうか。霞がかかったように頭はぼんやりとしていて、まだ起き上がる気にならなかった。
今日は一体、何をして過ごそうか。
ジュダルは、相変わらず禁城で生活をしているが煌帝国の中で何か役割が与えられたわけではない。それは『神官』と呼ばれていたことから変わってはいない。マギであったジュダルは、迷宮を出現させたり、そこに王の器として選んだ人物を送り込んだり。
マギという立場でなくなってしまった今は、転送魔法や浮遊魔法が使用できる魔法使いということでたまに暗黒大陸の調査に借り出されたり、気が向いたら故郷の村の畑を見に行ったりと昔と変わらずほとんど暇な日々を過ごしていた。
腹が減ったな。段々とはっきりしてきた頭と体は、人間の三大欲求の1つに素直に従い始めた。どうせ食べるなら美味いものが食べたい。自分の好みを熟知した人物に作ってもらおうとジュダルはようやく寝台から起き上がり身支度を始めた。
支度を済ませたジュダルが向かったのは紅玉と白龍がいる執務室だった。窓から入ってもよかったが、以前やったら敵襲と勘違いされてしまった。昔と違ってジュダルがフラフラと空を飛んでいる姿は、今の煌帝国では珍しいものであったようだ。その後、白龍にとてつもなく長く小言を言われたので、きちんと扉から入る様にしていた。扉の前には、警備の兵士が立っている。ジュダルは気にした様子もなく彼らの横を通り過ぎた。皇帝から直々に命令をされているのだろう。警備の兵士は、ジュダルを一瞥しただけでまた前に向き直った。
ジュダルは、部屋に入ると積み重なった紙の山に埋もれているように仕事をしている白龍に声をかけた。
「白龍、なんか作って」
ジュダルが入ってきたことには気がついていただろうに手を止めずに何かを記録していた白龍は、その言葉に呆れたように息を吐いた。
「お前…ようやく起きてきたかと思えば…」
「ジュダルちゃんは、相変わらずお寝坊さんね」
この国のトップである紅玉も白龍と同じように書類の山に囲まれていたが、憎まれ口を叩く彼とは異なりジュダルにむけて朗らかに笑った。皇帝陛下という立場になった紅玉だが、彼女は今までと変わらずジュダルに接する。
その態度を従者にたしなめられているのをジュダルは何度か見たことがあるが、彼女に直すつもりはない様だった。紅玉も白龍も日々休みなく働いている。煌々商会の仕事もこなしながら、無秩序になってしまった世界全体を調整しなければならない。それは世界を導いていかなければならない彼らにしかできない仕事だ。
「いいわよ、白龍ちゃん。
紅明お兄様が進めている分を確認したら私も休憩にするから!
先に休んでちょうだい」
「それなら俺が確認してきますよ、魔道研究施設にいますよね。陛下が先にお休みになってください」
「もう、白龍ちゃんたら!私が紅明お兄様に会いに行きたいのよぉ」
白龍は素直な紅玉の言葉に押し黙る。紅明は、煌々商会の仕事を主に担当している。沙門島から連れて来られた際は、形式上身分を隠したまま仕事をしていたが、聖宮が壊れた後はあの趣味の悪い仮面をとり堂々と顔を出していた。ただ、長い髪はバッサリと切られたままでさっぱりとした容姿のままだ。白龍も理路整然と過程と結論を述べる紅明とは相性がいいようで、紅玉と共によく助言を求めに行っていた。
お昼はお兄様と食べるといって執務室を出ていった紅玉を見送った後、渋々というように白龍は立ち上がった。
あんなに嫌そうに立ち上がったくせに厨に着くと何が食べたいんだと白龍は律儀にもジュダルの希望を聞いた。それに対して別になんでもいいと答えたジュダルは、手加減なく頭を叩かれた。何かあるとすぐに手が出る性格を直した方がいいとジュダルは常日頃から感じている。
「あー、うま」
白龍はその後も文句を言いながらだったが、いくつか点心を作ってくれた。最近はあまり料理をする機会がないと言っていたがその腕は衰えていないようだ。
「外で食べるの珍しいな」
白龍は作ったものを禁城の一角にある小さな庭園の東家に運ばせた。それは白嶺宮の近くにあり、禁城全体の規模からしたら小さなものである。ただ丁寧に手入れされているようで、赤や白、黄色、桃色など彩り豊かなたくさんの花が咲いていた。
「お前があまりにも日に当たらないものだからな。
そろそろ腐るんじゃないかと思って」
白龍の小言はいつものことだ。ジュダルは、自分好みに作られた点心を頬張ってそのまま聞き流した。白龍も聞き流されたことを気にせず、自分が用意したものを口にして満足そうな顔をした。しばらく黙々と食していたが、白龍は眼前に広がる庭園の中に何か気になる箇所があったようだ。箸を置いて、服が汚れるのも手が汚れるのも気にせず花の前にしゃがみ込んだ。
「料理の次は土いじりかよ。
お前、本当に昔からそういうこと好きだよな」
白龍が植物を整えているのを食事を続けながらジュダルは呆れた様に見つめる。第三皇子としての立場から幼い頃から武芸を教え込まれていた白龍だったが、当の本人は幼い頃からちまちまとした細かい作業を好んでいた。外で駆け回って馬に乗ったり、虫を捕まえて活発に動き回るのが好きだった姉の白瑛とは違って、白龍は城の中で静かに花を愛でるような少年だった。生命をつかさどる八型魔法と相性が良いのも頷ける。しばらく花を整えていたが白龍は納得したようで立ち上がり、膝に着いた砂を払った。
「お前も来た事があるだろう。俺が気に入っていた雄兄様の庭だ」
白龍に言われてジュダルは思い出を振り返った。どうだったか。白雄たちに構えとうろついていた時に確かにこんな庭でお茶を振舞われたこともあったかもしれない。
「……俺が育てていた花を勝手に摘み取るから、喧嘩になって蓮兄様に笑われただろ」
そう言われてみればそんなこともあったかもしれないとジュダルは考えた。幼い頃の白龍は、歳の離れた兄姉の後ろに隠れていつも慰められているような弱々しくすぐに泣くやつだった。ジュダルが少しでも揶揄うとすぐに大きな目を潤ませていたものだから、白龍が今言ったような出来事は多すぎて思い出す事ができなかった。
「兄上たちが亡くなってから、しばらくはそのままにしていたが…少ししてから姉上と一緒にまた花を植え始めたんだ」
ジュダルが気に入っていた白徳が亡くなり、将来を期待されていた皇太子の白雄も白蓮も火に飲まれて命を落とした。前皇帝の子どもである白瑛と白龍に残されたものは、僅かなものだった。焼け落ちてしまった白嶺宮は建て直されたが、その規模は以前のものとは異なっていた。
小さく、決して目立たぬように。
前帝の権威が少しでも目につかないようにと白瑛と白龍に与えられたのは小さな宮と僅かな家臣だけだった。焼けてしまった宮の中でも火の元から離れていたから無事だったその場所を見ながら、白龍は懐かしそうに目を細めた。紅徳にとって取るに足らないと判断されたため白龍たちの手元に残ったこの小さな庭園は、彼らにとって優しい思い出の詰まった大切な場所だった。
白龍は、吹っ切れた顔をすることが多くなったとジュダルは思う。ジュダルは、もがきながら前に前にと不器用に不格好に進んでいく白龍のことがとても好きだったから、こうやって過去を丁寧に懐かしむような彼の姿は正直言ってあまり好ましいと思えない。ただ、気に入らないからと言ってそれをわざわざ口に出すことはなかった。あの頃のジュダルと煌帝国にとって白雄と白蓮は王の器として相応しくなかった。ただ、穏やかに接してくれる2人のことを自分は確かに慕っていた。玉艶が連れてきた得体の知れない存在の自分に複雑な思いを抱えていただろうに、幼い自分にそれを見せることはない人徳者たちだった。彼らは正しい世界で王になるべき人物だったのだろう。
「……いくか?白雄たちんとこ」
「は?」
ジュダルは、急に思い付いたことを白龍に伝える。どうせ今日も特別やることはないのだ。白雄たちの陵墓は、洛晶の外れにある。馬で行くには遠いが、ジュダルの魔法であればそれほど時間がかからずに着く場所だ。白雄たちが亡くなってから玉艶が率いるアル・サーメンに急速に侵食されていった煌帝国では、白瑛や白龍が彼らの死を悼むことはあっても、優秀な太子たちの死を国をあげて悼むようなことはなかった。中原を平定した白徳でさえひっそりと陵墓が作られただけだ。ジュダルだって彼らの陵墓に足を運んだことなどない。どんなに立派だったとしても死んだ人間の扱いなど所詮そんなものだ。
「…お前はいきなり何をいうんだ。
忙しいと言っているだろう。陛下をお待たせするわけにはいかない」
ジュダルが珍しく親切心を出した提案に対して、感謝するわけでもなく呆れた様に眉間に手を当てられる。
全くもって可愛くない男だとジュダルは思った。何かといえば反射のように憎まれ口を叩く白龍であるが、ジュダルの言葉に思うことがあったらしい。考え込んだのち、再び花壇に入ると何本か花を切り取ってきた。
「……兄上たちのところは今度でいい。
代わりに連れていってもらいたいところがある」
「仕事は?」
「戻ってくるときは、転送魔法で執務室にしてくれ」
ジュダルは白龍から場所を指示されるがまま、転送魔法を使ったが、始めはどこに来たのかわからなかった。辺りを見回すと立派に建てられた禁城がよく見えたので、先程いた場所からそれほど離れてはいないようだった。目の前の建物は、立派な墓であった。真新しく見えるその墓は、場所からいって白徳のものでも白雄のものでも白蓮のものでもない。一体誰の墓なのだとジュダルが首を捻ると疑問に答えるように白龍が呟いた。
「お前の墓だよ」
「は?」
白龍から自身の墓を建てたということは聞かされた時にジュダルは、目尻に涙が浮かぶほど笑ってしまった。しかし、思っていたよりもよほど立派な建物を前にげんなりとした気分になる。なんだかんだこの男は、『皇子様』として育てられたのだ。どう考えても、何の功績もない一国の神官の墓にしては規模がおかしい。建てた本人はおかしいとは思っていないようでジュダルが怪訝な顔をするのを不思議そうに眺めていた。
「一度建てた墓を取り壊すのも罰当たりな気がしてな。戻ってきてからもそのままにしていたんだ。手入れでたまにくる程度なんだが……」
白龍はそう言って陵墓の中に入っていく。ジュダルもその背中を追った。自分のために用意された墓に入るというのはなんだかとても居心地が悪く感じた。たまにきているという白龍の言葉は、本当のようで意外にも荒れているところのない手入れされている空間だった。白龍は、慣れた手つきで花立から古くなって腐ってしまった花を取り出し、代わりに先ほど切った花を生けている。
白色の花と桃色の花で作られた花束は、ジュダルの墓に立てるにはどうにも似合うとは思えない柔和な色合いをしていた。
チグハグだとジュダルは思った。生きているのに墓が存在していることも、もうこの場所に縛られている必要などないのにどこか他の場所に行けない自分も。
ジュダルは、マギとして白龍を王として選んだ。初めてマギとして生まれてきた自分を誇れた時だった。憎い玉艶を殺して、紅炎たちをも殺すと息巻いてアリババとアラジン相手に散々暴れ回ったのは楽しかった。あの時に本当に死んでしまっていたのなら、きっとこうやって白龍に大切に永遠に弔われていたのだ。その方が、今よりもよほど幸せなことだったかもしれない。
「……ジュダル?」
墓に入ってから一言も話さないジュダルを不審に思った白龍が静かに名前を呼んだ。今になって白龍は、死んでもいない自分の墓に連れて来られるというのはいい気分ではないのではないかと思った。ジュダルが急に兄たちのところに行くかと問うてくれた時に思い浮かんだのは、自分が建てた彼の墓だった。ジュダルに墓を作ったと告げた時に彼は大笑いしていたし、このところ忙しくしばらく行けていなかった。禁城から近いようで遠いこの場所にくるのにいい機会だとジュダルに連れてきてもらったが、彼の気に障ったのかもしれない。申し訳ない気持ちで白龍はジュダルに近づいて、その肩に触れようとするとジュダルが口を開いた。
「……なんでこんなもの作ったんだよ」
白龍は、ジュダルに触れようとした手を引っ込め、だらりと体の横にそわす。
「寂しかったんだよ、ずっと」
白龍は、恥ずかしげもなくジュダルに言葉をぶつけた。寂しかった、だなんていい歳をした男が子供のように告げてくる白龍のまっすぐなところがジュダルは少し苦手だ。
白龍は、ジュダルが横にいなかった時のことを思い返した。煌帝国の皇帝の座についた時、新しい時代についていくのに必死だった時、紅玉に皇帝の座を譲った時、鬼倭国に身を潜めていた時、何度も何度も何かが足りないような孤独な夜を繰り返した。ここに、そばにいてくれたらと何度思っただろう。自分から国を、家族を奪った組織の一員で絶対に許さないと思っていた相手だった。ただ、誰の手も掴むことのできなかった白龍に、手を差し伸べ続けてくれたのも、握り返してくれたのもジュダルだけだった。
彼がいない世界を過ごして始めてアラジンが言っていたように一人ぼっちになってしまったという感覚に陥った。白龍が物心ついてからずっと当たり前のように同じ時を過ごしていたのだ。実の兄弟よりも長く一緒にいた。
ジュダルは、アラジンとの戦いでこの世界から飛ばされ不確かな存在になってしまった。目まぐるしく変わる世界の中、消えてしまった神官の名を口にする者はいなくなっていった。誰も彼もみんな白龍が大切に思っていた人を忘れていく。ジュダルを少しでも近くに感じたくて白龍は、自分のために彼の墓を建てた。いつも視界の隅にあったはずの姿が見えなくなって、どれほど憎たらしいこの黒色を求め続けただろう。
「お前がいなくて、寂しかった」
誰がそばにいてくれても、どれほど優しい言葉をかけてくれても、白龍はこの冷たく密やかな場所で過ごしている時に1番心が落ち着いた。ほかの誰でもなくジュダルが己の横に立ってくれることを望んでいた。
「だから、これから先もずっとそばにいてくれ。それだけでいいんだ。俺より先に、いなくなるな」
「なんだよ、それ」
ジュダルは、生まれたときからずっとただマギであることだけを望まれた。恵まれた環境で過ごし、用意された人物の中から王を選んで、まるで『好きに』生きているかのように。アラジンに真実を知らされるまでは。
「俺が、昼まで寝てても?」
「早寝早起きに努めろ」
「好きなものだけ食べてても?」
「バランスの良い食事をしろ」
「…これから先、魔力が弱くなっても?」
「そうならないように鍛錬をしろ」
なんて口うるさい男だとジュダルは思う。ああだこうだと口ばかりだしてきて、そばにいてくれるだけで良いなんて、そんな殊勝なことを思うやつではないのに。それでも、なんの見返りもなくジュダルに隣で生きていて欲しいと思う人なんてこの世界中を探してもきっと白龍しかない。
「仕方ないやつ」
寂しくて、そばにいてほしいなんて子どもみたいなことを言う男。それなのになんだかんだ言いながら、多分これからもずっと、この男から離れることができない。そう決めたのは、他の誰でもない。ジュダル自身だ。
「お前が死ぬまで、そばにいてやるよ」
ジュダルは、力なくおろされたままの白龍の手に己の指を絡めた。白龍が驚いてジュダルの手を振り払わないように、そっと。ほとんど同じ背の高さに成長した白龍の顔を見つめる。泣き出しそうな顔は、幼い頃からちっとも変わっていないなと思った。眉がほんの少し下がって、口を固く結ぶ。どれだけ成長しても、偉くなっても強くなっても、練 白龍という男は、結局のところ泣き虫で、寂しがりやで甘ったれだ。
「ジュダル」
白龍は、柔らかく握られていたジュダルの手を強く握り返した。あの時に離れてしまった手をもう一度掴むかのように。もう2度と離れ離れにならないように祈りをこめて。そのまま白龍は、ジュダルの口元を掠めるような口づけをした。ただ、吐息を分け与えるような温かいものだった。
「……なに」
玉艶を殺して国を取り戻すためにと白龍がジュダルの手を取り合った時に2人は激しく求め合った。その行為は、ただお互いをひどく傷つけるような痛々しいものだった。あの頃は、苛立ちも憤りも全て相手にぶつけるように荒々しく体の熱を分け合っていたのに、今の口づけはその時と一番遠いものに思えてジュダルは戸惑った。
「いいだろ、別に」
白龍は、己の行動が恥ずかしかったのかすぐに顔を背けた。それを見てジュダルは、いたずらっ子のように笑った。
「まぁ、悪くないな」
繋いだ手は、ジュダルの転送魔法で白龍が執務室に戻るまでそのままだった。
ジュダルと墓に行って戻ってきてから、白龍はいまいち仕事に集中することができなかった。紅玉からの問いかけに反応できないこともしばしばあった。そんな白龍を見て紅玉は心配そうな顔をしていたし、魔道研究施設から戻ってきた紅明はどこか呆れた顔をしていた。ようやく一日の仕事を片付けて白龍は、ジュダルの元を訪れた。どうしても顔を見たい気持ちでいっぱいだった。白龍が部屋に入ると、ジュダルは既に湯浴みを済ませたようで、いつも丁寧に結われている長い髪を敷布の上に散らばせて寝台に横たわっていた。
「白龍……?」
ジュダルが白龍の元を訪れるのが圧倒的に多いので、仕事の終わった後、着替えることもしないままやってきた白龍にジュダルは、驚いたようだった。ジュダルが体を起こして、楽しげな笑みを見せる。彼の腕が広げられると、白龍はその腕の中に吸い込まれるように簡単に収まった。
お互いの視線が混ざり合う。言葉はいらなかった。ただ、今までを労わるように唇を交わした。段々深くなっていく行為にジュダルも白龍も溺れていった。
「……白龍」
ジュダルは、飽きることなく何度も白龍の体に触れた。ジュダルのものが打ち付けられる度に白龍は切ない声をあげる。名前を呼ばれるだけで、最も近くで温もりを感じられるだけで、こんなにも泣きたくなるようなたまらない気持ちになるということを白龍はこの夜に初めて知った。
隣が随分と冷たいということに気がついて白龍は目覚めた。外を見ればまだ暗かった。日頃の疲れもあり、体も心が満たされたため、一時眠ってしまったようだ。先程ジュダルと抱き合ったままの姿ではあるが、下半身はしっかりと清められていて、白龍は気恥ずかしさを感じた。
「なにしているんだ」
思ったよりも掠れた声が出て白龍は、寝台のそばに置かれた水差しから水を注いで喉を潤した。行為が終わった後にジュダルが起きているのは珍しい。出窓に座っているジュダルは月明かりの下、自分の指先を見つめていた。白龍は、乱雑に脱ぎ捨てられている服の中から自分の着物を見つけて羽織り、簡単に帯を結んだ。そして寝台から起き上がり、ジュダルの元へ向かった。
ジュダルが熱心に見つめていたものは、見逃してしまいそうなとても小さなものだった。白龍もジュダルの手元になければゴミと勘違いして捨ててしまっただろう。それは、かつて白龍がジュダルに潜ませたネツメグサの種だった。迷宮を攻略した後、離れ離れになっても白龍がジュダルを追えるように魔力を込めたものだった。結果的に、白龍がそれを使ってジュダルを追ったのは暗黒大陸から帰ってきた後だった。ジュダルが種を大切に持っていてくれたおかげで白龍は、故郷である小さな村で過ごしていた彼を探し出すことができた。
「お前、そんなの……もう持っていても意味がないだろう」
白龍がザガンの能力を持っていたために意味があったものだ。金属器がなくなってしまった今、ジュダルが持っているのは何の意味もないただの種だ。どれほど大切に持っていてくれても白龍はもうジュダルを追うことはできない。
「いや、なんか魔力が込められてるものって捨てずらいじゃん」
金属器が無くなったといっても魔法や魔力が消えたわけではない。種には未だに白龍の魔力が込められていた。そのせいで吹けば飛んでいってしまうような小さな種をジュダルはどうしても処分することができなかった。二人で小さな種を見つめていると、白龍が口を開いた。
「……あそこに埋めるか、それ」
ジュダルは、昼間に2人で食事をとったあの小さな庭園のことだとすぐにわかった。白雄たちが白瑛と白龍に残してくれた思い出の場所だ。
「春になったらきっと花が咲く」
花が咲いた風景を思い、白龍は微笑んだ。根を長く張ることで有名なネツメグサだか、花も咲く。一見どこが花なのか分からない見た目をしているが、綺麗な色をしている。その光景をジュダルにも見せたいと思った。
「花が咲いたら、またあそこで食事をしよう」
昼間に庭で花を育てている白龍を見て、しまい込んでいた種を引っ張り出してきたが、ジュダルはこれをいつまで持っていていいのか分からなかった。捨ててしまおうか迷って、結局持ち続けていた。このまま一生こうやって持っていてもよかった。でも、白龍がいうのならあの庭に埋めるのもいいかと思った。
「…育てるのは、お前がやれよ」
「せっかくなんだからお前がやればいいだろ、種を撒いて水をやってればいいんだ」
なんでもないように白龍は言うが、それが面倒くさいのだとジュダルは思った。
「毎日毎日だらだらしているだけなんだからそれくらいのことをしろ」
「じゃあ、埋めないからいい」
そう言うとジュダルは出窓から軽やかに飛び降りる。そのまま寝台の近くの水差しが置かれた棚の引き出しに種をしまい込んだ。「お前な…」
白龍はジュダルの行動を視線で追っていたが、引き出しに種を閉まったのを見てため息をつく。育てるのが面倒だから埋めないなんて言われると思わなかったのだ。
「……埋めるのだけは一緒にやるぞ」
白龍は、まだ自分がどんな姿になるかも知らず、いつまでもただしまい込まれているだけの種がかわいそうに思えた。白龍はジュダルのおかげで自分の姿を知ることができたのだから。
「はい、はい。わかりました」
それでも面倒くさそうにつぶやくので、白龍はジュダルにしずかに近づいて無防備な脇腹をくすぐった。突然の刺激に驚いたジュダルが悲鳴をあげるが、白龍は手を止めなかった。
「全く、お前は!」
「やめ、はくりゅ…!」
力は圧倒的にジュダルよりも白龍のが強い。抵抗しようにもその差は歴然だ。ジュダルが必死に逃げたので、二人はもつれるように寝台へ倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ……お前、ふざけんなよ!」
弄ばれたジュダルは、息も絶え絶えに白龍に文句とともに拳をぶつけた。軽々と白龍に受け止められてしまったが。
「いや、すまない」
少しも悪びれない顔で言うものだからジュダルは今度は魔法でもぶつけてやろうかと思った。自分の部屋だからやめておいたが。「一緒に、やりたいんだ」
白龍は、横たわったジュダルを跨ぐように姿勢を変えて言い聞かせるようにゆっくりとした口調で告げる。そのまま白龍は、ジュダルの顔の両脇に手をつき、顔を近づけて微笑んだ。
ジュダルと白龍は、故郷と呼べる場所を破壊した。母と呼べる人を殺した。人も土地もたくさん壊した。ジュダルが1番楽しいと、生きていると思えた記憶だ。そんな二人が今度は一緒に花を育てようだなんて、おままごとみたいで似合わなすぎて笑えてくる。
「俺と、お前が?」
「ジュダルと2人で」
こうなった白龍は、絶対に折れないとジュダルは知っていた。圧倒的な力量の差があると分かっていても、兄たちの敵討ちを諦めなかった馬鹿野郎だ。頷いても頷かなくてもジュダルは結局、明日朝早くから白龍に叩き起こされて種を蒔くのだ。
だから、ジュダルは頷く代わりに白龍の首に手を回して接吻をした。ジュダルの墓で白龍がしたような優しく甘い口づけを。
「…なんとか言えよ」
「……もう一回シたい」
拗ねたように言った白龍にジュダルは吹き出した。了承の意を込めて、今度はお互いが混ざり合うような深い口づけをする。ネツメグサの種は、本当に花を咲かせるのだろうか。ジュダルは、熱に浮かされていく頭で蒔いた種に変化があるたび、白龍に声をかけられるのだろうなと思った。
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